以下、少しばかりの旅のおすそわけです。
同じ空の下に生きているのに、なんでこんなにもメキシコの空はでかいのか。
あんなに大きな空に見下ろされていたら、きっと人間なんて他のどんな生き物と変わらない、何も特別な存在なんかじゃないって感じられるのかもしれない。
そんなことを思いながら旅していました。

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むしろそれよりは、その映像の中で、
「何故それが撮れたの?」と、ちょっと驚いてしまうようなシーンに出会った時ではないだろうか。これはほんの一例に過ぎないけれど、例えば結婚式を目前に控えた新婦が、控え室でほんの一瞬父親と目を合わせた時に見せる、なんとも言えない笑顔。きっとその笑顔には、父に対するそれまでの感謝と、今日という日を迎える事ができた喜び、これからの人生に対する決意、そんなものが凝縮されているに違いない。
ただ、どうすれば、そんな特別なシーンを撮影できるのだろうか?
もしそれを一言で言うならば、撮影者がその時その瞬間に、それを撮れるべき、精神的、身体的準備ができていた、という事だと思う。
技術が進歩し、とにかく画質だけを求めるならば、誰が撮っても、ある程度のものが撮れる時代になったと言えるだろう。
ただ、闇雲に押せば写るという考えで撮影をしていたら、決して上記の様な、“特別”なシーンを撮影する事はできない。
人事を尽くして天命を待つ。少々大袈裟に聞こえるかもしれないけれど、それくらいの意識で撮影に臨んでいてはじめて、決定的な画が撮れるのだと思う。
ある程度以上の撮影者であれば、撮影にのぞむにあたり、ありとあらゆるシミュレーションをする。
基本となるのは、5W1H。誰が、いつ、どこで、何を、なんで、どうやって、という事をまずクリアにし、それを元に、どんな映像が撮れるのか、自分が作ろうとしている作品に対して撮るべきか、という事を推測、想定する。
そうする事で、いざ現場に入った時に、慌てずに冷静に対応できる。大概の場合、よほどの熟練者でもない限り、行ってみてその場で対応するだけでは最低限の重要な映像すら撮りこぼしてしまう。
そしてまた、現場は生ものとはよく言ったもので、決して全てが想定した通りになる事はない。ただ、想定している、つまり心の準備をしていることで、その場その場で反応しているよりは、遥かにスムースに現場に対応でき、もし想定外の事が仮に起ったとしても、それが起るもの、という気持ちの準備があれば、逆に喜んでその状況にも対応でき、これは!という映像が収められるのだろう。
そう、意識や心構えといったものが、とても重要になってくる。そして、実はそればかりではなく、映像は、撮るものと撮られるものの関係性、空気感すらも如実に写してしまう。
仮に被写体には、極力リラックスして自然体でいてもらいたい様な状況で、撮影する側が被写体に対してどこか憮然としていて、緊張感を与えるようであったとしたらどうだろう?当然、その緊張感が被写体の表情として映像に反映されてしまう。
ここまで来ると、撮影云々の問題ではなく、一人の人間としてどう在るのか、という事になる。もし一人のドキュメンタリー制作者が、いかなる状況にも好奇心と尊敬と、謙虚さを持って臨むことができたなら、人の心を動かす様な映像をとらえる事ができるだろうし、きっとそれが良いドキュメンタリー撮影者に求められる最も重要な資質ではないだろうか。